研究報告要約
調査研究
30-117
青木 佳子
目的
東日本大震災での津波被害の震災復興地域においては、震災から8年が経過した現在、迅速な復興の必要性から、各地で様々な都市計画が進んでいる。本研究では、津波被害によって壊滅状態となってしまった岩手県陸前高田市を対象地として、現在のまちの更新の様子や人々の暮らし、今後の更新計画に向けた状況を明らかにすると同時に、陸前高田におけるかつての「表象」を明らかにし、今後の震災復興まちづくりを行うための知見を得ることを目的としている。
現在の陸前高田市では、仮設の道路や町並みが日々更新され、着々と新たなまちを築いている。壊滅的な被害を受けた陸前高田の市街地では、8年が経過した今もなお盛り土工事が続いてはいるが、中心市街地部分では次々に店ができ、仮説の道路も目まぐるしく変化し、街区も近年みるみるうちに完成している。陸前高田の震災から8年後の現在の状況を、人々の生活を捉えた上アーカイブし、今後の陸前高田のまちづくり指針に対して考察を行う。 また、震災前の陸前高田の表象を捉えることで、新たなまちを形成する場合においても、かつての陸前高田のゲニウスロキ(地霊)とも言える「地域性」を尊重したまちづくりを展開できると考える。
まず、現在のまちの現状や今後を見据えた計画の状況を明らかする。また、地域記述のある旅行案内所から、そのなかで取り上げられている場所や、その場所に対して人々が抱く一般的なイメージに関する記述を時代ごとに抜粋し、変遷を通時的に追う。 このことから、まちに蓄積されてきた場所性を見出し、新たな計画の指針を展開するための知見を得る。また、津波によって失われた資料も多いため、今この地の場所性をアーカイブし継承する重要性は非常に高いといえる。
都市的なスケールの研究のなかでも、このように、震災前後の都市史的な変容を明らかにしたものは一部見受けられるがこれらは歴史的事実の通時的な研究が一般的である。本研究の位置付けとしては、調査から歴史的事実を得つつ、対象地が歴史に対してどのようなイメージの変容を遂げてきたかを明らかにすることで、その地域の本来の場所性を見出す、場所性の議論の一端としての表象史研究である.
陸前高田市 新市街計画地
陸前高田における復興のシンボルでもある奇跡の一本松と震災遺構として保存されるかつてのユースホステル (2018年 筆者撮影)
内容
本研究は、まず現在の陸前高田におけるまちの暮らしや震災復興計画の状況を現地でのフィールド調査から明らかにする。次に、かつての陸前高田のまちが獲得していた「地域性」を明らかにするために、その様子が隔年ごとに記述された「旅行案内書」を資料として記述を抜き出し、まちの変化とイメージ(表象)の変遷を明らかにする。
1 現在の陸前高田市街地の状況
■まちの土木状況
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津波被害地に最高12mの盛り土を行い、商業施設(アバッセ高田)と図書館を中心に、カフェや美容室など新市街地を形成中(2018年現在)。
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もし東日本大震災と同等の津波が来たら新市街地も浸水する可能性あり。(ヒアリングによる)
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現在は各地の工事のため道路状況が非常に悪く、昼夜問わず工事車両の出入りが非常に多い。
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基本的には市街地周辺や近隣のくらしは車移動で、公共交通手段としてバス・BRTがある。
■まちでの生活の様子(現地訪問でのヒアリングによる)
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図書館ができたおかげで、地元の高校生の居場所ができた。
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市街地部分はスーパー、カフェ、地元民に愛されるラーメン屋などが集まっている。
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高齢者用にはバスが出ており(病院→スーパー→食事処)が決まっている。
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自転車は道路状況が悪く、乗れない(せめて自転車が快適に乗れるまちになるとより良い)。
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通学にはスクールバスを利用。高校生たちには徒歩で通学する学生もいる。
市街地かさ上げ部分との境界
かさ上げされた市街地。
図書館、スーパー、商店、公園が並ぶ。
陸前高田に関する年代別記述一覧
震災前の旅行案内書に出現する項目の位置情報
震災後の旅行案内書に出現する項目の位置情報
方法
■「地域性」の概念
集落や都市空間における「地域性」とは、建築・生業・文化・社会などでその地域独自、あるいは、地域を象徴する性質をもつ事象のこととする。この「地域性」の尊重は、地域が他地域と比較・差別化する際に用いられる。地方創生により地方の人口獲得社会となった近年では、地域がいかに自身の個性を発揮するか、が一つの課題であるといえ、その手法の一つとして「地域性」のアピールが盛んに行われているといえる。
この「地域性」を尊重した更新が都市計画では重要である。その地域がこれまで歩んできた歴史や生業・建築・文化・社会を継承しつつも、新たな建築要素や都市計画要素の挿入が求められる。「地域性」を尊重した更新においては、これらの継承と、時代に応じた空間の更新の形が求められると言える。陸前高田や他の復興都市の計画においても「地域性」の掘り起こしと、その取捨選択が今後の計画指針に大きく影響することは言うまでもない。本研究では、この「地域性」の掘り起こしの手段の一つとして、毎年刊行される旅行案内書を資料とし地域の「表象」を抽出することで、地域性への理解と獲得を目的とする。
■陸前高田の案内書
本調査にあたって、継続的に岩手の案内書を出版している日本交通公社のシリーズのうち、震災前の様子が分かる「るるぶ」シリーズを中心に調べるとともに、補助的に陸前高田を扱う複数の案内書を調査資料とした。
「るるぶ」は、1973年には旅行雑誌として出版された。 「見る」「食べる」「遊ぶ」という旅行の三要素の語尾を重ねたタイトルの雑誌は、若い女性を対象とした、当初は旅行に関する月刊誌であった。一度廃版になった後、旅行案内雑誌「るるぶ情報版」として1980年代に旅行案内雑誌として復活した。岩手県を案内した「るるぶ」としては、調べる限りで、1993年の「るるぶ岩手」が岩手の「るるぶ」としては最も古いものであるが、今回はその5年後の1998年以降の「るるぶ岩手」からしか入手できなかったため、それ以降から入手しうる限りのるるぶシリーズを資料とした。
■調査分析方法
1_陸前高田の現在の状況をフィールド調査や資料調査から明らかにする。
2_陸前高田のまちに関する記述を抜き出す。以後、「イメージ記述」とする。
3_各資料内で紹介されている要所を抽出する。以後、「項目」とする。
4_これらを年代別に抜き出し、年代ごとの変化を考察する。
5_項目について、空間にプロットし、年代ごとの陸前高田の項目の面的な広がりを明らかにする。
6_イメージの記述と空間の広がりから分析・考察を行う。
<例>るるぶ岩手 1998年版
1998年版には、陸前高田市の特集ページがあり、この中では、「三代七夕」「タピック45」「高田松原」「海と貝のミュージアム」「気仙大工左官伝承館」「風工房」「キャピタルホテル」などポイントとして取り上げられているものを「項目」とする。
また、1998年版においては、「陸前高田市は、県の東南端、陸中海岸国立公園の…(以下略)」を「イメージ記述」とする。
結論・考察
■1_陸前高田のまちの生活の様子
復興6年計画は来年でひと区切りとされている。しかし、現在も車がないと生活できない状況や、トラック等の大型車両が走り日々盛り土を行う市街地の様子を見ると、陸前高田が「まち」として正常な機能を取り戻すには、まだまだ時間がかかる。
現在の市街地は、かつての市街地にかさ上げした盛り土の上にできており、2018年以降複数の店舗がこの場所に開店している。自身が訪れたこの1年の間にも随分と活気が増してきた。陸前高田の市街地は、もともと海と山に囲まれ、人々のアイデンティティでもある高田松原やその周辺のレクリエーションなども楽しめる、活気溢れる美しいまちであった。悲惨な震災後、多くのまちが市街地自体を高台へ移転することを決断したなかで、まちの形は変われど、見慣れた山々の景色の中でかさ上げした同じ場所にまちを再形成していくことを決意した陸前高田の今後の都市計画は注視すべきである。
沿岸部にめぐる防潮堤によって、景色が損なわれる等様々な議論を呼んでいるが、この市街地に限っては、そもそも高田の松原は松林で覆われており昔から海は見えなかった。防潮堤より海側は、祈念公園・道の駅等の施設が建設中であり、かつてそこにあった砂浜の再建が計画されている。
2017年7月に開館した新しい図書館では、wi-fiを完備しカフェを併設してその飲み物を持って読書ができるようになっており、ヒアリングの中で、多くの住民が図書館の快適さについて言及していたことが印象的である。近年都市部に見られる書店のようなセンスのいい本配置、本選びで入り口に広く地域史や震災コーナを取っており、老若男女に配慮された空間となっている。改めて、図書館のような全ての世代の居場所となりうる情報発信の場の重要性をみることができる。
■2_表象史から見るかつての陸前高田
資料の記述を、年代別にみていくと、1998年の時点では、「陸前高田市は、県の東南端、陸中海岸国立公園の南玄関口に位置する。リアス式海岸の奇岩の自然美や白砂青松の高田松原、椿島など県屈指の名勝地である。」と記載があり、高田松原や椿島を中心とした自然豊かな地であることがわかる。また、98年には、「近年は自然を生かしたリゾート整備を核に町づくりが進められている。」と、まちづくりが進行中の記述があるが、2002年には、「宮城県と境を接するリゾート都市。」と断定的に記載があることから、2002年には「自然豊かなリゾート都市」として確立したことが分かる。
2003年には、オートキャンプ場について、「若者やファミリーに人気」と追記されたことで、年々リゾート都市として賑わってきた様子が伺える。2007-2008年版では、「高田松原は海水浴場であり、日本百景に選ばれた名勝地」として紹介されるなど、海水浴場としても広く認知されてきたことが分かる。また、同誌では、七夕についても、記述中で紹介しており、「海上七夕、けんか七夕、うごく七夕が、それぞれ個性豊かに8月の街を盛り上げる。」とあることから、七夕も陸前高田のまちを象徴する行事となっていたことが分かる。
2007年-2008年版では、記述は「巨大な山車が名物”うごく七夕”。国の名勝・高田松原。」の2文のみとなる。また、それ以降は「陸前高田市」としての特集ページ自体もみられなくなる。
■3_まとめ
イメージ記述より、陸前高田市が高田松原を中心とした自然豊かな都市を目指して以降、その姿は2002年には「自然豊かなリゾート都市」として確立したことが分かる。また、「高田の松原」はどの年代も多く取り上げられてきたことから、陸前高田市の政策に呼応する形で、人々の見どころも高田の松原を中心としたリクリエーションであり、その周辺の飲食店が一番の観光名所だったことが分かる。
陸前高田市の土地利用については震災直後から打ち出され、更新を重ねている。防潮堤を超える波がくる可能性があるエリアは、基本的には居住地とせず、高田松原津波復興記念公園(防災メモリアル公園)として、公園整備を主とした土地利用を目指し、嵩上げした市街地エリアを中心に「まちなか」として新市街地を形成する計画となっている。また、多くの店舗が、現在この「まちなか」エリアに新たに店をかまえ始めている。また、復興記念公園の中心として、復興祈念施設を建設中である。
今後は、新たな道の駅や復興を中心とした観光を沿岸部に誘致した際に、人々のくらしとなる市街地である「まちなか」と観光が分断されてしまうことが想定される。かつての陸前高田は、生活の中に高田松原があり、暮らしのなかに観光拠点があるなど非常にコンパクトなまちであった。今後は奇跡の一本松とその周辺のみの観光に留まらず、「まちなか」への観光客誘致が課題となる。まちなかの、居住者と観光客の両者を見据えた計画を行いながらも、かつての自然豊かなレクリエーションを意識したまちづくりを目指すことが重要であると言える。
英文要約
研究題目
Studies on The History of Town Image and Town Planning in Rikuzentakata
申請者(代表研究者)氏名・所属機関及び職名
The University of Tokyo, Institute of Industrial Science, Assistant professor, Dr. Eng.
本文
Eight years had passed since the big earthquake and Tsunami hit Rikuzentakata City, Iwate Prefecture. The City of Rikuzentakata suffered great damage from the Great East Japan Earthquake and Tsunami of March 11, 2011, with 1556 citizens declared dead and 203 missing, as well as immense damage to land and infrastructure.
Now Rikuzentakata has been planning a new town. Heavy equipment is being deployed to pave millions of tons of soil brought from higher ground to elevate the city’s coastal area by as much as 12 meters.
On September 2018, city declared “Machibiraki Matsuri”, it means opening a new town, and held an event such as ceremonies and festivals.
As the result of the literature survey of travel guides, Rikuzentakata had became a beautiful green resort town on 2002. Moreover, “Takata matsubara” is appering on almost all the guidebooks until the disaster. In response to the policies of Rikuzentakata City, it is clear that the highlight of the people is recreation centered on Matsubara in Takada, and that the restaurants around it were the best tourist attraction.
Currently, a new roadside station is under construction. It is featured that tourism will be divided from “town”, where people live. Rikuzentakata used to be a quite compact town. It is important to draw a plan to aim at the connenction between living area and touristic area.