研究報告要約
調査研究
4-107
松田 法子
目的
人類の独自性は地球を土台かつ素材として,生きる環境を自ら造形することである。申請者らは,その将来像を歴史的に展望するため,新しい歴史学として「生環境構築史」を提起した。
生環境構築史は,人類の造形史を長期的視座から見通し,その新たなデザインや再構築の方向性を展望することを目的とする、萌芽的試みである。
「生環境 Built Habitat」とは,原始から現代に至る住居,集落,農地,都市,建築など,人類が主体的に造形してきた全ての人工環境を指す。
その「構築様式 Building Mode(以下、構築)」は4つに分けられる。
構築1は石や木などの環境素材を即地的に組み立てる原初段階,構築2は構築素材の地理的な流通と集積を不可欠とする文明段階,構築3は地球を資源とみなす産業化段階に対応する。
本活動では構築3による世界を批判的に検討し,来たるべき構築様式4を探究する。
その際,つねに生環境構築の基盤であり素材であるところの地球そのもの(=構築0)との関係を史的検討に組み込み,また量と形をともなう造形の観点を重視するのが本研究の特色である。 本研究はこの点で,K・マルクスの「生産様式」や,柄谷行人らの「交換様式」など,最も重要な先行理論とも一線を画した独創性を有する。
こうした枠組みのもと生環境構築史では,この研究活動の推進力となるWEBzine(https://hbh.center)を立ち上げた。
2カ年4号ずつを区切りとし,全3期(6カ年・全12号)のダイナミックな活動の展開を計画している。
第1期2020-21年の「生環境構築史の方法とイメージの提示」を達成したのち,その成果を踏まえて行われる第2期・2022-23年のプログラムとして,学際的・国際的連携を図る方法的集成を主たる目的とする「生環境造形の基礎となるエコロジー理論とデータベースの構築」フェーズの製作・発行を行うことが本研究の目的である。
以上に掲げた目的に照らして申請者らは,建築史を中核に,地球科学・地質,土壌・農業,環境史,芸術・デザイン学といった学際的な共同研究者・研究協力者チームを編成し,すでに思想誌や美術館などとの連携も行ってきた。
今回申請する生環境構築史WEBzine第2期プログラムの特徴はデータベース的な知見集成を試みる点にある。これは第3期における構築4の環境造形の実践的展望や検証の土台を整備する目的と意義がある。
内容
「研究の目的」にも前述したように,本研究では,生環境構築史WEBzineの刊行を,学際的・国際的に重要な研究を結び合わせ,新しい学問を展開するために欠かせないプラットフォームと位置づけている。
2カ年4号ずつを区切りとし,全3期(6カ年・全12号)を段階的に展開する計画で,第1期「生環境構築史の方法とイメージの提示」(2020-21)では,SF,土壌,鉄,庭などの具体的な主題を通して,生環境構築史の体系・概念とその具体的イメージを提供しつつ,多彩な専門家との議論を深めた。反響も多数寄せられている。
今回申請を行った範囲の研究内容は,第1期の成果を踏まえて展開される第2期「生環境造形の基礎となるエコロジー理論とデータベースの構築」である。
第1期におけるテーマごとの特集とは異なる固有の方法として,データベース的な知見の集成とそれを通じた研究者・研究機関との学際的・国際的連携を推進する。第2期で設定されるこの基礎論とデータベースの整備については,具体的に以下の活動を計画した。
◉第5号特集(2022年9月公開予定)“エコロジー論総覧 Encyclopedia of Ecologies”として特集を企画し,土壌学や環境史を専門とするメンバーを中心に,これまで提唱されてきたエコロジー理論・思想を収集・提示しつつ,それらを生環境構築史の方法・概念から比較検討する。分野や立場によって異なり,ときに対立さえするエコロジー理論の星座的な見取図を描くことが目的である。
◉第6号特集(2023年3月公開予定)では,地球環境の持続にかかわる世界中のデータベースを生環境構築史の視点から収集する。気候変動,人口統計,都市,農地,汚染,戦争,飢餓など世界の研究者・研究機関が公開する種々のデータベースを一括して比較検討できる場の形成がねらいである。
このように,第5号は理論,第6号は基盤データを扱うことで、これらの関係を結び合わせる観点の獲得を引き続き第2期の課題とし,生環境の構築・造形実践を展望する第3期への不可欠な過程として実現する必要がある。このことも意識しながら,第5号全体の制作費及び第6号データベース構築費と,信頼に足る専門家による両号特別対談の謝金・文字起こし・編集費を当申請に計上する。
方法
前述してきたとおり,本研究はWEBzine《生環境構築史》の公開を機軸とし,つねに成果公開と一体的に進められる。
その他、展示(2021年12-22年5月には21_21 DESIGN SIGHT「2121年 Futures In-Sight」展参加),メディア取材対応(2020-21年には『WIRED』ほか),寄稿(同,『現代思想』『建築雑誌』ほか),フォーラムへの参加など,研究成果の還元・公開機会を随時捉えて活動することで,本研究の目的である「地球環境との史的関係から生環境造形の未来を展望するための学際的・国際的データベースの作成と公開」を推進する。
WEBzine《生環境構築史》から発信される成果は,建築・芸術領域のみならず,それらの根本的な土台である地球物理学や,人類の生存に関わる人文社会学,生命学,生物学などに波及する。諸分野の知見を生環境の探究の名のもとに結集させて公表することで,将来を見据えた環境造形の学際的・包括的な基盤の構築が期待できる。また,ウェブサイトは本研究の発祥地としての日本にアドバンテージを与えつつも,要点を英文・中文併記とすることで国外からの積極的な関与を準備する。
結論・考察
5号は「エコロジー諸思想のはじまりといま───生環境構築史から捉え直す」〔2022/11/04公開〕と題して,人間活動の自然との調和を目指す,いわゆるヒューマン・エコロジー(人間生態学,以下HE)を中心的に扱った(https://hbh.center/backnumber5/)。
本研究で特集5号として計画した内容に対応し,かつ充実した成果を納めることができたと考える。以下にその外洋を記す。狭義のHEは1960〜70年代以降に生み出されたさまざまな思想と実践を指すことが多いが,その噴出は19世紀以来の思考の系譜にあり,他方で2000年前後以降はまたかなりの変質がみられる。本号は,ほとんど分裂的でさえあるHE思想の全体をどう俯瞰するかという課題に取り組んだ。HBHもまたHEへの新しいアプローチを模索する活動だからである。
本特集号の議論を通じて,ひとつの有益な2軸座標系を作成することができた。x軸は「手を入れる/手つかず」,y軸は「大きな体制で/小さな主体で」という基本的な価値の対立を表す。xは「人は生態系を技術的に改変・調整しうる」という命題を支持するか(+),拒むか(-),と言い換えられる。yは生態系に手を入れるにせよ手つかずのままとするにせよ,その主導を国家・資本のような巨大な実行力をもつ組織に期待するのか(+),逆に個人や市民共同体などの自律性を重視するか(-),である。この座標軸を傍らに置きながら,歴史的及び現在的なHEの取り組みを整理し,俯瞰する号とした。
8号は「地球の見方・調べ方──地球を知るためのデータベース」〔2024/05/31公開〕(https://hbh.center/backnumber8/)として発表した。生環境構築史WEBzineの第2クール(5~8号)は人が生きるための環境=生環境の「データベース編」になることを企図していたが,その最も直接的な応答の号となった。本研究で当初特集6号として計画していた“地球環境の持続に関わるデータベース”の内容に相当する。
データとは概ね客観的でフラットなものというイメージがあるが,その収集,編集,公開の可否判断,そして受容の各局面には,専門性という性格と種々の意図や目的がある。そんなデータベースの世界に,地球はどのように映し込まれているのか。また,地球の諸現象はいまどのようにモニタリングされているのか。そしてそもそも,データベースはどんなふうに作られているのか。以上のような観点から多分野の科学者にインタビューやアンケートを行い,地球(構築0)を対象とする知の前線に迫った。
なお,当初6号として計画していた“地球環境の持続に関わるデータベース”号は8号としての編集・発行となったため,研究期間を延長して取り組んだ理由には,ロシアによるウクライナ侵攻もあり,特集号のテーマとしては従前より議論していた「戦時下の生環境──クリティカルな生存の場所」〔2023/6/10公開〕を6号として先行的に編集し,発表したこと(https://hbh.center/backnumber6/)がある(本号の製作費は別の研究資金によってまかなった)。
また,7号として「地球の見方・調べ方──地球の中身と表面を捉える科学史」〔2023/11/10公開〕を編集し,公開した。これは8号と対になり,またその前段として不可欠な内容と判断されたことと,助成頂いた研究費を節約しながら有効活用することで本特集の内容も追加で達成可能と判断されたため,実施したものである。本号では,WEBZine第2クールであるデータベース性と紐付けながら,人が地球を認識してきたその方法と展開に迫る特集号となった(https://hbh.center/backnumber7/)。以下にその概要を記す。
古代ギリシャで生まれ,アラブ世界を経由してヨーロッパに環流するルネサンス・大航海時代頃までの天文学,大航海時代に発達した博物(自然誌)学を前身として17世紀前期に成立する地理学,そして産業革命期に地理学から分岐した地質学の各学問史と,それらの学問が生まれ育つための知的背景,社会的要請,観測・測定技術や物理学の発達,そしてこれらの複合的関係が結果としてどのように地球像を更新してきたのかを確認することを目的に,天体/地表世界/地下世界としてのそれぞれの地球探索の道筋を捉えた。
これを通じて,学術的動機と社会的・経済的動機とが両輪となって地球理解の方法と範囲を広げてきたことを確認する成果をあげた。このように学術分野横断的な地球認識史のテクストは書籍等でも前例がなく,科学史分野からみても新鮮な編集・成果と受け止められている。
英文要約
研究題目
“Creation and Publication of an Interdisciplinary and International Database for Exploring the Future of Environmental Design from the Historical Relationship with the Earth’s Environment — Through the Editing, Production, and Management of the Habitat Building History WEBzine”
申請者(代表研究者)氏名・所属機関及び職名
Noriko MATSUDA,Kyoto Prefectural University, Assosiate Professor
本文
Issue 8, titled “Databases for Understanding the Earth,” explored the process of constructing databases and the current state of Earth monitoring through interviews with scientists from various fields. Although the original plan was to publish up to Issue 7 during the research grant period, the publication was extended to Issue 8 due to the indivisibility of the content and cost savings.
In Issue 5, under the theme “The Origins and Current State of Ecological Thought,” the focus was on the ideas and practices of Human Ecology (HE), providing an overview of the historical background and evolution of HE thought. A coordinate system with the axes “Intervention/Non-intervention” and “Large-scale/Small-scale” was used to analyze the diverse approaches within HE.
Issue 6, in response to Russia’s invasion of Ukraine, was quickly refocused on “The Living Environment in Wartime,” exploring the impact of war on the living environment.
In Issue 7, under the theme “Perspectives on the Earth: Methods and Studies,” the process by which humanity has come to understand the Earth was explored through the history of science, tracing the development of astronomy, geology, and the birth of geography, and their relationship to the evolving image of the Earth.
Issue 8, titled “Databases for Understanding the Earth,” examined the process of constructing databases and the current state of Earth monitoring through interviews with scientists from various fields. Although Issues 5 and 6 were originally planned for publication during the research grant period, the publication was adjusted to Issues 5 and 8 due to the thematic necessity. Additionally, due to the indivisibility of the content and cost savings, Issue 7 was also produced and published as an extension.