研究報告要約
調査研究
6-121
下田 元毅
目的
本研究の目的は、南海トラフ巨大地震に起因する津波災害が懸念される日本の太平洋沿岸部、特に紀伊半島および四国の南・東・西沿岸地域に位置する小規模集落において、地域に固有の「共有空間」(路地、水場、広場など)に注目し、それらを地域の備えとする「事前復興計画」の構築と、地域との協働による実践を通じて、災害に強靭な地域社会の創出と持続可能な空間利用のあり方を提示することである。共有空間とは、行政が整備した公園や施設とは異なり、地域住民が日々の営みの中で自然発生的に使用し、維持・更新を繰り返してきた“生活空間”であり、地縁・血縁・習俗が色濃く反映された、地域文化の縮図とも言える空間である。
本研究では、このような共有空間を「海のコモンズ」として捉え直し、日常的な共用利用と共助的な維持の仕組みに支えられた、地域コミュニティの核となる空間と位置づける。有事に際しては、こうした空間が自然と避難や物資の集積・分配、地域内の支援の要として機能しうる潜在性を持つことに注目し、平常時から災害時への可変性を備えた空間利用のあり方を、事前復興という枠組みの中で構想・実践していく。
日本政府が示す「南海トラフ地震防災対策推進基本計画(内閣府・2021年5月更新)」においては、高台移転や公共施設の耐震化、インフラの強化など、主に市街地を対象とした防災・減災施策が中心であり、沿岸部に点在する人口減少下の小規模集落への言及は限定的である。しかし、実際にはこれらの集落が担う機能は地域全体の生業や文化的連続性に直結しており、特に水産業や漁業に従事する住民が多数を占める地域では、漁港と集落の連続的な空間構造がそのまま生業のネットワークでもある。すなわち、これらの小規模集落の空間構造を災害後に維持・再生することは、単に集落の復旧という次元にとどまらず、広域的な生活圏・経済圏の持続にとっても不可欠である。
こうした課題認識のもと、本研究では、津波被害の想定される沿岸175集落を対象に、地域ごとに固有の共有空間の実態を詳細に調査する。調査項目は、空間の形態(大きさ、形状、地形との関係)、素材(舗装の有無、石材、木材、土などの地域資源の活用)、日常利用の内容(洗い場、祭事、集会、遊び、作業場等)、維持管理体制(住民の役割分担、制度化の有無)、利用者の範囲(戸数、血縁関係、隣組制度等)、コミュニティの結びつきの濃淡といった多岐にわたる項目を含み、空間の“かたち”と“意味”を同時に把握することを目指す。
この調査で得られた知見をもとに、すでに事前復興計画の準備が始まっている三重県尾鷲市九鬼町に加え、調査結果に基づき選定された2集落の計3集落において、地域住民・行政・専門家が協働するかたちで、共有空間を起点とする事前復興計画を策定する。計画は、単なる避難機能や建築物の整備案にとどまらず、日常的な空間の使い方と維持管理の習慣を継承・強化しながら、有事の際に柔軟に転用できる「空間の使いまわし(再解釈と可変性)」を含むものであり、地域にとって“使える”計画として根づくことを目指す。
さらに、計画に基づく空間実践(共有空間の再整備、利用実験、協働イベント等)を通じて、机上の計画を超えた地域の手触り感ある復興の構えを醸成し、そこから得られる知見や課題を整理・分析することで、より汎用性のある地域主導型の事前復興モデルを構築する。これらの実践的プロセスを可視化し、研究成果として社会に還元するため、①3集落における地域マスタープランの策定、②共有空間の再編と実験的利用の実施、③研究・実践内容の展覧会による公開、④学術論文や報告書による発表、⑤調査・実践にもとづいた提言書の作成という5つのアウトプットを予定している。
本研究は、災害を一過性の非日常的危機としてではなく、日常生活の延長線上にある「空間的・社会的な揺らぎ」として捉え直し、地域が本来持つ空間資源と社会関係資本を活用しながら、「自ら備え、自ら支えあう」災害復興の思想と方法を提案するものである。共有空間という“場”を媒介に、平時と有事をつなぐ空間と制度の構築を目指し、今後の地域防災計画・復興計画に新たな視座と可能性を示すことを目的とする。
内容
1. 研究の背景と課題
南海トラフ巨大地震による津波災害が広域的に想定される中、紀伊半島および四国太平洋沿岸に位置する小規模沿岸集落では、人口減少や高齢化の進行により、従来のハード中心の防災施策では対応が困難な状況が顕在化している。これらの地域では、行政主導の計画だけではなく、地域の特性や生活文化を踏まえた住民主体の「備え」が求められている。
本研究は、そうした課題認識に立ち、沿岸部に点在する地域固有の「共有空間」(水場、路地、広場、浜辺など)に注目し、それらを災害対応資源として再評価するとともに、地域住民との協働を通じた「事前復興計画」の構築と実践を目的としている。ここでの共有空間とは、行政が管理する公的施設とは異なり、住民が日常生活の中で自発的に使用・管理してきた“生活の場”であり、地縁・血縁・習俗が色濃く反映された空間である。
2. 研究の目的と方法
本研究では、共有空間を「海のコモンズ」と再定義し、日常的な共用性と共助的な維持管理の仕組みに支えられた、地域コミュニティの核となる空間として捉え直した。災害時には、こうした空間が避難、支援、物資集積といった多様な機能を担う可能性があり、平常時と有事をつなぐ可変的空間としての活用を目指した。
まず、紀伊半島および四国南岸の津波被害が想定される沿岸175集落を対象とし、Google Earthや地理院地図、自治体資料を用いて、共有空間の分布・形態・素材・利用実態・制度的管理体制等を広域的に調査した。調査では、空間のかたちと意味の両面に注目し、地域ごとの共有空間の成り立ちと特徴を整理した。
この調査結果に基づき、空間の多義性と地域資源としての活用可能性を有すると判断した三重県尾鷲市九鬼町、和歌山県広川町、高知県須崎市の3地域を重点調査対象とし、現地調査および地域住民・行政との協働による事前復興の実践を展開した。
3. 対象地における共有空間の再評価
九鬼町では、漁港と山林が共存する地理的特性のもと、漁具干場、浜辺の広場、祠への石段、洗い場など、生活・信仰・生業が交差する空間が災害時に支援や避難の拠点として転用可能であることを確認した。空間の構造・素材・維持の仕組みが統合されており、地形に根ざした柔軟な活用が可能であった。
広川町では、災害時の水資源の確保に資する「井戸」に着目し、住民と協働して井戸調査とマッピングを実施した。地形的安全性や水質・水量、利用歴の聞き取りを通じて、災害協力井戸28か所を特定した。井戸という生活資源が、災害対応空間として再評価されるとともに、住民の記憶と空間が再接続される契機となった。
須崎市では、市街地が低地に集中しており津波リスクが高いため、高台への都市機能移転を見据えたゾーニング案を住民とともに検討した。複数の配置案をもとにワークショップを実施し、商店街や旧井戸空間の再評価とともに、高台での新たな共有空間の創出を提案した。
4. 成果と意義
本研究は、共有空間を「空間・素材・仕組み」の三層的視点から捉え直すことで、日常生活に根ざした防災・復興の枠組みを提案するものである。調査から計画・整備・実験的運用に至る一連のプロセスを地域とともに実践することで、「使える計画」として地域に定着する可能性を示した。
今後は、3地域におけるマスタープランの策定、共有空間の再整備と利用実験、研究成果の展覧会公開、論文発表、政策提言書の作成といった形で、研究成果の社会的還元を進めていく予定である。これにより、災害を一過性の出来事ではなく、日常の延長として捉える空間的レジリエンスの構築を目指す。
方法
本研究は、南海トラフ地震による津波災害が想定される紀伊半島および四国の沿岸小規模集落において、地域固有の「共有空間」(水場、路地、広場等)を災害対応資源として見直し、「事前復興計画」の構築と実践を図るものである。計画は、行政主導のハード整備ではなく、空間的・制度的・文化的文脈に根ざした住民協働型の備えとして構想された。そのため、本研究では共有空間を空間・素材・制度の三層構造として捉え、地域の暮らしの中に埋め込まれた空間の“かたち”と“意味”を重層的に読み解くことを方法論の中心に据えた。
1. 広域調査と対象地の選定
第一段階では、紀伊半島および四国の沿岸部に位置する175集落を対象に、Google Earthや地理院地図を用いた俯瞰的調査を行い、共有空間の存在・形態・分布を整理した。あわせて、自治体の津波浸水予測図や土地利用データを活用し、地域の地形的特性と空間資源の重なりを分析した。調査項目は以下の通りである。
・地形と土地利用、集落の構造/・共有空間の形態(広さ、形状、接続性)/・素材の特性(石積み、木材、舗装など地域資源)/・利用実態(祭礼、洗濯、作業、遊び等)/・維持管理(地縁的組織、慣習的制度)/
この分析を通じて、共有空間の多義性・継続性・災害対応力が確認された三重県尾鷲市九鬼町、和歌山県広川町、高知県須崎市の3地域を詳細調査の対象に選定した。
2. 九鬼町:空間・素材・仕組みの連関的分析
九鬼町では、山林と海が連続する地形と半林半漁の生活文化を背景に、空間と制度が複合的に編み込まれた共有空間の実態を調査した。以下の方法を用いて、空間的・社会的構造を読み解いた。
・芝鶴路地、洗い場、浜辺、小広場などの空間スケッチと現地計測/・ドローン撮影による集落全体の構造把握/・尾鷲檜や石垣など地域素材の利用実態の観察/・神社や山中の祠と浜との信仰的動線の把握/
これらを通じて、共有空間は生活・信仰・生業が交差する文化的基盤であり、有事には避難路や情報交換拠点として即時に転用可能な構造を持つことが示された。
3. 広川町:井戸空間を媒介とした住民協働調査
広川町では、共有井戸に着目し、日常の水利用と非常時の防災機能を重ね合わせる空間としてその可能性を調査した。住民参加型ワークショップを実施し、次のような情報を収集・可視化した。
・井戸の位置/・所有形態(個人/共同)、用途、水質(金気の有無等)/・地形模型と地図を用いた防災拠点候補地の検討/・津波浸水予測との照合による「災害協力井戸」の抽出(28か所)/
この調査は、地域住民の記憶と経験を空間化する作業でもあり、井戸という生活資源が共有空間として再認識される契機となった。結果として、既存資源を活用した“災前からの備え”の形が可視化された。
4. 須崎市:都市スケールの事前復興計画と空間再構成
須崎市では、旧市街・新市街ともに低平地に位置するため、津波被災後を見越した高台整備による都市機能の再編が求められた。以下の手法で事前復興計画の検討を行った。
・多ノ郷エリア、市役所背後地を対象とした整備候補地の選定/・公園、住宅、医療・福祉、公共施設等のゾーニング案の作成(計4案)/
市合致型の復興における既存空間への愛着や記憶の継承を重視し、日常と非日常を繋ぐ空間設計を試みた。
5. 方法論の特徴と意義
本研究の方法論は、空間的調査と社会的関係性の分析、そして計画実践への接続が有機的に結びついた点に特徴がある。具体的には以下の点が挙げられる。
・共有空間を素材・配置・制度・習慣の複合体として読み解く重層的分析/・ワークショップ、聞き取り、地図、模型、スケッチ等の多元的手法の統合/・平時利用から有事機能への転用可能性(可変性)に基づく空間設計/・調査知見を地域マスタープランに反映し、空間整備や利用実験に展開
これらを通じて、共有空間の災害対応力を検証するにとどまらず、地域固有の空間文化の再発見と再構築を促す、地域主導型の事前復興計画の方法論が提起された。
結論・考察
1. 研究の総括と視座
本研究は、南海トラフ巨大地震による津波災害が想定される紀伊半島および四国南岸の小規模沿岸集落を対象に、地域に根ざした「共有空間」を活用した事前復興計画の構築と実践を試みたものである。共有空間を「海のコモンズ」として再定義し、空間・素材・仕組みが一体となった地域資源としてとらえ直すことで、災害への備えを日常生活の延長線上に位置付けようとする点に本研究の特徴がある。
2. 九鬼町における知見
三重県尾鷲市九鬼町では、半林半漁の生活文化に支えられた多層的な共有空間が確認された。洗い場、石段、漁具干し場などは、日常的に使用されると同時に、避難や物資集積といった有事の機能を自然に兼ね備えていた。これらの空間は、地形や素材、信仰との関係を背景に成立しており、災害対応機能が地域の歴史的文脈と結びついた形で内包されていた。加えて、住民による維持管理の仕組みは、空間を社会制度としても機能させている点が注目された。
3. 広川町における知見
和歌山県広川町では、井戸に着目した調査と住民ワークショップを通じて、災害協力井戸28か所を抽出した。水源としての有用性だけでなく、住民が自ら空間資源を再評価し、防災の視点を日常に持ち込むプロセスそのものが、地域のレジリエンスの核を形成した。井戸という静的資源を媒介に、記憶の継承や共助意識の再生が図られた点は、共有空間の潜在的価値を明確に示すものであった。
4. 須崎市における知見
高知県須崎市では、市街地の津波リスクを踏まえ、高台移転を前提としたゾーニング計画を複数案検討し、共有空間の再編可能性を探った。商店街の路地や旧井戸空間が、将来的な公共空間の基盤となりうる可能性が浮上し、都市型事前復興における共有空間の再評価が進められた。都市規模での転用や再編集の可能性が確認された点に、他地域展開への足掛かりが見出された。
5. 横断的知見と成果
3地域の取り組みを通じて得られた横断的な知見として、以下の3点が挙げられる。
第一に、共有空間は単なる物理的場ではなく、使用・維持・語り・習慣といった要素が重層的に絡み合った「制度化された空間」という認識である。この意味で空間の再評価は制度・関係性の再構築とも不可分である。第二に、素材・構法・手入れの作法など、空間を形づくる物理的・技術的要素と、それを維持する社会的仕組みの連動が、災害後の復旧・復興においても機能する基盤となることが明らかとなった。空間の「使いまわし」=可変性と継続性を両立させる設計原理が重要である。第三に、「事前復興計画」は防災のための計画という枠を超え、日常の空間や制度の再編成を促す契機として地域に機能しうることが確認された。これは、住民参加のプロセスを通じた主体性の回復にもつながっており、単なる計画立案を超えた地域再構築の可能性を示唆するものであった。
6. 今後の課題と展望
一方で、今後の課題としては、制度的整合性の確保が挙げられる。すなわち、地域主導で進めた事前復興計画と、行政の防災・復興計画との接続や調整をどのように実現するかが問われる。また、住民組織や空間資源が希薄な地域における共有空間の可視化と、その意味の再構築手法も今後の探究課題である。
以上の成果を踏まえ、今後は(1)三地域のマスタープラン策定、(2)共有空間の再整備と実験的運用、(3)展覧会・報告書・論文による発信、(4)政策提言書の作成という4つの方針に基づき、実践と社会実装を進める予定である。結びとして、本研究が示したように、「海のコモンズ」に代表される共有空間は、地域の歴史・関係性・素材を内包した「すでにある備え」であり、それを活かす構想力と制度設計が、これからの地域防災・復興に不可欠な要素である。日常と非日常を架橋する空間の可能性を示すものとして、共有空間はこれからのまちづくりに新たな視座を提供しうるものである。
英文要約
研究題目
“The Sea Commons: Designing a Pre-Disaster Recovery Plan Based on the Utilization and Spatial Form of Shared Spaces in Coastal Communities”
申請者(代表研究者)氏名・所属機関及び職名
Motoki Shimoda,, Faculty of Architecture and Arts, Otemae University,Associate Professor
本文
This study examines the potential of locally embedded “shared spaces” in small coastal settlements of Japan’s Kii Peninsula and Shikoku region as a foundation for community-based pre-disaster recovery planning in anticipation of a major Nankai Trough earthquake and tsunami. These shared spaces—such as alleys, wells, plazas, and coastal work areas—are not government-designed infrastructures but organically developed sites used and maintained through everyday communal activities. They reflect deep ties of kinship, locality, and customary practices, and are thus redefined in this research as “Sea Commons.”
A survey of 175 tsunami-prone coastal settlements identified diverse forms and uses of these spaces, including their materials, spatial connections, and local governance. Three locations—Kuki (Mie), Hirogawa (Wakayama), and Susaki (Kochi)—were selected for detailed research and collaborative planning with residents and local governments. In Kuki, religious and fishing-related shared spaces were mapped and analyzed as multifunctional areas for both daily use and emergency response. Hirogawa’s cooperative wells were rediscovered as vital disaster resources, and in Susaki, zoning proposals were made to relocate urban functions to higher ground while retaining the cultural value of older shared spaces.
The project showed that these spaces, when recognized as social institutions combining physical form, local materials, and community practices, can serve as adaptable and resilient elements in disaster scenarios. Rather than relying solely on centralized infrastructure, the study advocates for disaster preparedness grounded in everyday spatial culture and community agency. Outcomes include master plans, space redesigns, participatory experiments, public exhibitions, and policy recommendations—all aimed at promoting a model of “pre-disaster recovery” as a proactive, locally driven, and sustainable approach to risk and resilience.