研究報告要約
調査研究
6-129
芦澤 竜一
目的
本研究は、琵琶湖に浮かぶ日本唯一の淡水湖の有人島である沖島町を対象とし、町並みや暮らし、文化や信仰の記録・分析を通じて、今後持続的に集落を維持していく上で必要な条件を明らかにし、それらを体系化した「沖島住民憲章」を策定・発信することで、まちづくり活動の促進、引いては沖島町伝統的民家や漁村の町並みの保存を推進することを目的としている。沖島町は、歴史的にも文化的にも価値の高い漁村集落として知られるが、近年は高齢化と人口減少の進行により、生活や信仰、祭事、生業など地域を支える活動の担い手が減少し、集落の存続が危ぶまれている。このような現状に対し、地域の文化的・社会的基盤を保全しながら、現代的な沖島らしい地域運営の枠組みを再構築することが急務である。 沖島町の特徴は、良好な漁場を有する地理的条件と、漁業を中心とした共同体的な生活様式にある。集落は湖岸に迫る狭小な平地に形成され、住宅が高密度に建ち並ぶ独特の集落空間をもつ。この物理的制約の中で、島民は互いに助け合い、家族や地域単位での協働を重ねることで社会的秩序を維持してきた。そのため、沖島の町並みは単なる景観としての価値にとどまらず、生活・信仰・生業・儀礼が有機的に結びついた文化的空間として機能してきた。しかし近年、この共同体的性格の継承が危ぶまれており、物理的な建物の保存のみでは地域の持続性を確保できない状況にある。 本研究では、こうした課題に対して、地域の人々が主体的に関わる「住民憲章」の策定を通じて、島の将来像を共有し、文化的価値と生活基盤の両立を目指している。住民憲章は、島民の合意形成を支える仕組みであると同時に、土地・建物・漁業権など地域資源の適正管理を促す社会的契約として機能することを想定している。また、空き家や農地、森、湖といった資源の利用ルールを明文化することで、外部からの新規参入者や企業による一方的な経済活動を抑制し、沖島の魅力と秩序を保全する効果も期待される。 本研究の意義は、世界的にも非常に希少な湖に浮かぶ有人島における暮らしの保存と少子高齢化によって信仰、文化、生業の面で担い手が不足している沖島町を廃村の危機から救うことにある。また、土地所有等に関しては明確な手続きなしで受け渡し等が行われていた沖島町において、空き家、農地、森、海、湖などの地域資源管理・所有の問題を本研究で作成、実践する「沖島住民憲章」が解決の一因となることを想定している。 さらには、沖島町の事例を通じて、離島地域や限界集落が直面する共通の課題に対する普遍的なモデルを提示できる点にも意義があると考えている。日本各地で進行する過疎化や高齢化の中で、地域固有の生活文化をいかに継承し、持続可能なまちづくりを実現するかという問いは、国全体の地域政策にとっても重要なテーマである。沖島の事例から得られる知見は、文化と生活を両立させる「地域内自治」の具体的な実践モデルとして、他地域への応用が可能であるだろう。 最後に、建築・デザインの観点からは、沖島に残る伝統的民家の空間構成や生活様式を分析し、それらを現代的に継承するデザイン指針を提案することも目的の一つである。島内の限りある資源を活用した沖島町独自の暮らしや建築を次世代に引き継ぐことは、サスティナブルな暮らし方を考える上で極めて重要である。こうした実践を通じて、沖島町を単なる「保存対象」としてではなく、「生き続ける集落」として再定義し、集落の存続と生業や文化の継承のあり方を模索することが本研究の究極的な目的である。
内容
これまでの調査から沖島町は、良好な漁場に接する敷地にて構成されており、その場所に漁業を主たる生業とする住民のための住宅が高密度に密集した集住形態を成していることが分かっている。沖島町内の集落は今もなお漁業を生業として成立しており、文化や風習が形を変えながらいまだに残る伝統的な漁村集落であった。そのような漁村集落は一つの共同体的性格が保持されているため、高密集住環境が成り立っているが、一方で生活及び生業の維持・継承のために、共同体的性格の保持を余儀なくされているとも捉えられる。そうした漁村集落として社会に適応した空間を存続させるには、漁村社会に適応した空間でなければならない。そうでなければ、共同体的性格は失われ、それと同時に良好な漁場の維持管理や高密度居住環境の維持が困難といえると考える。そのため沖島町において未来に繋がるサスティナブルな暮らしを構築するためには、伝統的民家として保存していくだけでなく、集落の存続と生業や文化の継承のあり方を同時に考えなければならないことが明らかである。 本研究では、沖島町の町並みと暮らしを多面的に捉え、物理的な空間構成と社会的構造の両側面から分析を行った。沖島は、琵琶湖の中心近くに位置し、限られた土地において漁業を主たる生業とする人々が高密度に居住する集落である。その独特な環境は、漁業と信仰、そして共同体意識が相互に支え合うことで形成されてきた。特に「ホンミチ」と呼ばれる主要通路と、湖岸へ続く「ツジミチ」が網の目状に連なる街路構造は、集落構造と集落空間の一体性を象徴している。また、各家の軒先に洗濯機やまな板、植木鉢などが並び、生活の一部が外部空間にまで溢れ出ている様子は、島民の共同性が現代に継承されている様子として観察された。 こうした空間特性を持つ沖島の集落は、共同体的性格の維持によって初めて存続し得るものであり、その空間構造は社会的関係と密接に結びついている。したがって、本研究では町並みや建築物の保存を目的とするだけでなく、住民の暮らし・信仰・文化を含めた「生活文化圏」としての保存・再生を視野に入れ、沖島特有の空間的構造を明らかにした。 研究の進行は主に3段階で構成された。 第1段階では、新潟県佐渡市宿根木集落を対象とした比較調査を実施し、共通する課題と解決に向けた取り組みについて調査を行った。 第2段階では、沖島での現地調査を行い、島民へのヒアリング、行事・祭礼の観察、空き家や町並みの実測調査を通じて、沖島の生活文化の実態を把握した。この過程で得られた情報は、写真・音声・文章によるアーカイブとして体系的に整理し、沖島のコスモロジー(自然観・信仰観)を再構築する基礎資料とした。 第3段階では、「沖島住民憲章」の作成に着手した。これは、島民自身が主体的に沖島の未来像を描き、地域外の人々とも共有できる合意形成の枠組みをつくる取り組みである。憲章案は、島民とのワークショップやヒアリングを重ねながら検討され、共同体性を維持するための行動指針としてまとめられた。たとえば、土地・建物・漁業資源の利用ルール、地域行事の継続方法、若年層の育成や外部人材の受け入れ方針など、実践的かつ具体的な項目が盛り込まれている。 最終的に、本研究では「沖島住民憲章」と並行して、町並みや空間構造の再考をもとに「沖島マスタープラン」を提案した。これは、空き家活用の促進、観光と生活の調和、地域資源の循環的利用を柱とするもので、島民の生活向上と文化継承の両立を目的としている。単なる地域計画ではなく、「島の内側から生まれるデザイン」として、島民との協働を重視したプロセスが本計画の特徴である。今後は、これらの成果をもとに、地域社会の自律的運営と文化的持続性を両立させる新しいモデルケースとして沖島の実践を継続していく予定である。
方法
本研究は、沖島町における町並み・生活文化・信仰・共同体の構造を包括的に理解し、持続可能な集落維持のための具体的手法を導き出すことを目的として、3段階の反復的プロセスによって進められた。それぞれの段階は、①新規調査とヒアリングによる情報の収集、②アーカイブと空間分析をもとにした提案の構築、③提案の検証と再調査による改訂で構成され、段階的に沖島の現状と課題、そして未来像を明確化していく方法論を採用した。 第1段階では、これまで芦澤研究室が行ってきた「沖島町伝統的民家の保存に関する基礎調査」や「RYUBOKU HUTプロジェクト」などの活動実績を踏まえつつ、新たな視点からの調査・記録を実施した。主な手法は現地でのヒアリング調査、参与観察、そして生活空間・建築構造の実測である。ヒアリングでは、漁業従事者、島民、自治会関係者、寺院の住職、氏子など幅広い層に対して聞き取りを行い、生活史や祭事の継承などを詳細に記録した。特に重視したのは、住民が日常生活の中で無意識に実践している“沖島らしさ”の抽出であり、村人が当然とみなしている行為の背後にある価値観を丁寧に読み解くことを目的とした。また、神事や祭事への参加を通じて、儀式の意味や変遷を身体的に理解し、その過程で得られた知見を映像・音声・記録文書としてアーカイブ化した。 第2段階では、収集したアーカイブをもとに町並みと建築物の分析を行い、沖島における空間的特性と社会構造の関係性を整理した。町並み調査では、主要街路であるホンミチとツジミチの構造、住宅群の配置、地蔵や神社・墓地といった信仰空間の位置関係を図面化し、集落がどのように生活と信仰を包含する空間体系を形成しているかを明らかにした。その上で、保存すべき空間要素(軒下空間、半屋外作業場、集会の場、寺社仏閣など)と、今後新たに導入すべき要素(空き家活用拠点、地域交流施設、防災機能など)を抽出した。これらの分析を踏まえ、「沖島住民憲章(案)」と「沖島マスタープラン」の骨格を構築した。 第3段階では、前段階で策定したマスタープランおよび住民憲章を島民に共有し、住民説明会およびワークショップを通じてフィードバックを収集した。島民との対話の中では、提案の実現可能性や優先順位に関する意見交換が行われ、住民の生活実感を反映した修正を加えることで、より現実的で持続的な計画へと昇華させた。この段階を通じて、研究者と住民の関係を一方向的な調査者‐被調査者の関係ではなく、共同実践者として位置づけることを重視した。最終的には、提案を再評価し、必要に応じて追加調査を行うことで、調査・提案・検証のサイクルを確立した。 本研究において特に重視した方法は、ヒアリング調査と参与観察である。ヒアリングは単なる情報収集手段ではなく、住民自身が地域文化を再認識する契機として位置づけられるものであった。質問項目は、形式的な回答を導くものではなく、住民の語りの中から価値観や記憶を引き出すよう設計した。たとえば、「昔と比べて祭りの準備で変わったことはありますか」「空き家が増えてからご近所づきあいはどう変化しましたか」といった問いを通じて、地域の変容と住民の意識の両面を記録した。また、参与観察では、日常生活の中で生まれる行為—洗濯、漁具の手入れ、庭先での会話—を観察することで、形式化されにくい生活文化の実態を把握した。 さらに、分析段階ではGISデータを活用して建物分布や空間利用を可視化し、地理的・社会的構造の対応関係を検証した。これにより、物理的環境と社会的関係性の連関を客観的に把握でき、住民憲章やマスタープランの提案の根拠とした。特に、空き家の立地と住民の高齢化率を重ね合わせることで、将来的な生活圏の変化を予測し、今後必要となる生活支援機能や地域拠点の整備計画に反映させた。 以上のように、本研究は調査・分析・提案・検証を循環的に行うことで、沖島町における持続可能な暮らしの実現を目指した。その成果として得られた「沖島住民憲章」と「沖島マスタープラン」は、地域の合意形成を促す実践的なツールであり、他の離島や小規模漁村にも応用可能な方法論として発展しうる。これにより、地域文化の継承とまちづくりの両立を図るための新たな研究的枠組みを提示することができた。
結論・考察
【結論】
本研究は、滋賀県近江八幡市の沖島町を対象として、町並みや暮らし、文化や信仰の実態をアーカイブ化し、地域社会の持続的な発展に向けた新たな指針を提示することを目的として行われた。これまでの調査・分析を通じて、沖島の集落に潜在する共同体の本質は、琵琶湖と共に生きる生活様式、そして限られた資源を循環的に活用して生きる知恵と協働の精神に根ざしていることが明らかになった。こうした「湖と共に暮らす文化」は、単なる地域的特徴ではなく、自然と人間の関係性を象徴する持続的社会のモデルとして高い価値を有している。
しかし、近年では少子高齢化や担い手不足により、この共同体的社会構造は揺らぎを見せている。かつて強固に機能していた集落自治も、世代交代の過程でその結束力が弱まりつつあり、地域の将来像をどのように描くかが大きな課題となっている。これに対し、本研究では、沖島の限られた資源を基盤にした「新たな共同体の再構築」を目指し、2つの提案を行った。1つは、島民が共有する価値観や行動規範を明文化した「沖島住民憲章」の策定であり、もう1つは、それを具体的に空間化した「沖島マスタープラン」の提案である。これらは、沖島の未来にふさわしい風景と社会のあり方を同時にデザインする試みであり、従来の観光振興や景観保全とは異なる、文化と生活の両立を志向するものである。
「沖島マスタープラン」は、島全体の生活圏を俯瞰的に捉え、漁業・居住・信仰・教育などの活動を有機的に結び付ける空間構想である。湖と陸が交錯する境界領域における人間の営みを再評価し、既存の町並みに潜在する空間的可能性を引き出すことを目的とした。また、「沖島住民憲章」は、島民自らが自分たちの暮らしを見つめ直し、外部者や行政と協働しながら地域を運営していくための社会契約として位置づけられる。これらの提案を通じて、沖島の人々が自らの文化的アイデンティティを再確認し、次世代へと継承するための基盤を築くことができたと考えられる。
さらに、本研究の意義は、沖島という特異な環境を通して、地域社会の再生を「空間」と「制度」の両面から考察した点にある。アーカイブ調査により抽出された生活文化の本質を、建築・都市計画の文脈に接続することで、集落の持つ潜在的な価値を可視化し、それをデザインに反映させる手法を確立した。つまり、文献や記録の中に眠る文化的要素を3次元的に再構築することによって、集落における「生きた文化遺産」として継承する道を開いたのである。今後もこうした調査・分析・実践を繰り返し行うことで、沖島に限らず、他の離島や限界集落においても応用可能な持続的デザインモデルを展開していきたい。
総じて本研究は、沖島町における伝統的民家や町並みの保存を単なる文化財保全としてではなく、地域社会の再生を伴う実践的取り組みとして位置づけた点に学術的意義がある。住民の生活文化や信仰を基盤とした空間設計と制度設計の両立を通じて、「文化を継承しながら生きる集落」という新たな地域像を提示したことは、今後の地域デザイン・まちづくり研究においても重要な示唆を与えるものである。沖島で得られた知見は、環境と共生する暮らし方を再評価する契機となり、地域の未来を住民と共に構想する新たなモデルケースとして社会的にも大きな意義を持つ。
【考察】
本研究を通じて明らかになったのは、地域の持続可能性を支える要素が、制度や空間の整備といった外的条件だけではなく、住民の意識や関係性といった内的要素に大きく依存しているという点である。沖島町では、漁業や祭礼などを通じて培われてきた共同体意識が町並みや文化を支えてきたが、近年では少子高齢化によりその結束が弱まりつつある。こうした中で、外部研究者が地域再生を試みる際には、「提案する側」と「生活する側」の間に距離が生じやすく、住民が主体的に行動する段階まで結び付けることが難しいことが分かった。
本研究では「沖島住民憲章」と「沖島マスタープラン」を提案し、地域の未来像と価値観を共有する枠組みを提示したが、島民の主体性をさらに高める仕組みづくりが今後の課題である。私たちの活動は外部者の立場から行われたため、提案が「外からのもの」と受け止められ、住民自らが能動的に活動を展開するまでには至らなかった。今後は、子どもを含む多様な住民層を巻き込みながら、地域の将来を共に考えるワークショップを継続的に開催し、研究成果を地域社会に還元することで、住民と研究者の間に生じる距離を縮める必要がある。
また、調査・分析だけでなく、空き家の活用や漁業関連施設の再生など、地域に具体的な利益をもたらす実践を伴うことで、住民が研究成果を自らの暮らしに活かす段階へと発展させることができると考える。こうした「協働的デザイン」の姿勢は、沖島に限らず、他の離島や過疎地域においても共通して有効な方法論である。
総じて本研究は、外部者による分析や提案を超え、住民と共に未来を構想する「共創的地域デザイン」の必要性を示した。今後は、住民憲章とマスタープランの実装を通じて、地域内部のリーダーシップ育成や次世代への継承を支援し、沖島の経験を他地域にも応用可能な地域再生モデルへと発展させていきたい。
英文要約
研究題目
A Study on the Preservation of Traditional Houses and Townscape in Okinoshima Town:
Focusing on the Formulation and Implementation of the “Okinoshima Residents’ Charter” for Unifying Community Awareness in Town Planning
申請者(代表研究者)氏名・所属機関及び職名
Ryuichi Ashizawa
Professor, Department of Environmental Architecture and Design, School of Environmental Science, The University of Shiga Prefecture
本文
This study focuses on Okinoshima Town, the only inhabited freshwater island in Lake Biwa, Japan. Through documentation and analysis of the island’s townscape, lifestyle, culture, and beliefs, the research clarifies the essential conditions required to sustain the community. These findings are expressed in the “Okinoshima Residents’ Charter,” which aims to promote community-led town planning and preserve Okinoshima’s traditional houses and fishing village landscape. Okinoshima is a culturally valuable fishing community where daily life, faith, and work have long coexisted. However, rapid aging and population decline have weakened the social fabric that once supported this interdependence. To address these challenges, the study proposes a sustainable framework for community governance. The Residents’ Charter serves as both a guideline for consensus-building and a social contract for managing local resources—land, houses, and fishing rights—while preventing external economic disruption. The Okinoshima Master Plan complements the Charter by suggesting spatial strategies to revitalize the town, linking housing, fishing, faith, and education into a cohesive system. Together, they form a model for balancing tradition and modernity within small island communities. Beyond Okinoshima, this research offers insights into how declining rural and island settlements can maintain cultural identity and autonomy amid demographic and environmental change. It presents a replicable approach that integrates architectural design, community participation, and cultural preservation—redefining Okinoshima not as a static heritage site, but as a living, self-renewing community.