研究報告要約
調査研究
5-110
芦澤 竜一
目的
本研究は「むらやし」研究の一環として、沖縄県国頭村与那地区(以下、与那)における信仰と集落構造の関係を明らかにすることを目的とする。さらに、住民の生活観察とヒアリング、文献調査、集落構造分析によるフィールド調査を根拠とし、土着の信仰と生活が切り離されていない集落構造とその空間構成を明らかにすると共に、調査により発見された「むらやし」を空間化し、三次元的に継承することを目的とする実践研究を行う。
最初に「むらやし」とは、村の野史を語源とする造語である。既に文献や行政史などによって記録された正史以上に、伝承、口伝、あるいは人々の生活の営みの中で潜在的に継承されてきた記憶的な歴史に、信仰や祭禮などによって形式化される以前の共同体の本質がある。この考えのもと、「土着の風土や信仰が形式化する以前から残る生活と日々の営み」をその継承過程も含めて「むらやし」と定義し、これらを現代において継承・発展・展開するための取り組みを「むらやしプロジェクト」と呼ぶ。
沖縄の集落調査には、農村研究、地域計画・まちづくり研究に相当の蓄積がある。また、沖縄の土着信仰について、岡本太郎の『沖縄文化論』など多く論じられてきた。一方で、これらの多くが琉球王朝以降に整備されたものを取り扱っており、ノロ制度などに代表される琉球王朝に組み込まれる以前の地域・集落を論じるものは少ない。また、土着の信仰と生活の関わりについても、集落全体を一元的に解釈するものが多い。これらはいずれも重要な先行研究であるが、琉球王朝以前の沖縄北部について、所謂「正史」には記録されない個人の伝承、口伝、慣習などから集落空間を復元するものは見当たらない。
そこで、我々は在来信仰から集落構造を読み解き、現在における与那での暮らしの中に眠る在来信仰から続く文化や生活の様式を顕在化させる。また、それらの要素をデザインとして空間に落とし込むことで、先述したように与那における共同体の本質を三次元的に継承・共有するための空間「ユアギマー」を設計・施工する。ユアギマーは、単に共同体の本質を空間化したものではなく、これにみられる広義な空間化の方法が、その他の集落や村との結びつきを含めた新たな継承方法となることを目指す。それによって、これまで個別に運営されてきた集落や村を連携して運営する地域自律型の共同体モデルを提唱することを目的とする。
また、日本の中山間地域や離島、農村では1960年代からの高度経済成長により過疎化が進行し,現在では少子高齢化により人口減少社会に突入している。そのような衰退の危機に瀕する集落には、経済成長する以前の日本人が築いた、自然のエネルギー・空間・畏怖を上手く活用した文化や集落構造が残っている。自然との共生(環境、信仰、生業)の面で見ると空間造形は合理的であり、現在我々が目指す自然と共生する環境社会の実現において必要な英知だと考える。しかし集落の維持は困難であり、このままでは多くの文化や英知が人々から忘れ去られ、近い将来、多くの集落は消滅してしまうかもしれない。衰退の危機に瀕する集落に存在する村人の細やかな記憶(歴史)の蓄積を調査し、文章や写真だけではなく、建築空間として記録し、村人から旅人、若者や子供たちといった幅広い人々に体験してもらう事で、記憶「むらやし」を次世代に継承することも目的とする。文章や二次元の絵画など、様々な継承方法がある中で、空間は年齢や性別、国籍、社会的背景に関わらず体感することができる三次元媒体であるため、子ども、高齢者、或いは海外の人もターゲットにしていくことができる独自性の高い実践的な研究である。
内容
本研究では、与那において神女と呼ばれる聖職者や区長、村人へのヒアリングやフィールド調査、文献調査を通じて本集落における「むらやし」を収集し、分類すると同時に、それらを空間として表現したユアギマーの設計・施工を行った。また、ユアギマーが村人の生活に根付くことを図り、ユアギマーを舞台とした子どものための祭りである「与那こどもまつり」を開催した。その際には我々が行っている活動や、収集したむらやし、ユアギマーのことを村人に紹介する二次元媒体である瓦版「よなのこ」を発刊し、村人へ配布すると共に村の公民館であるよんな〜館に備え置くことで、祭りに参加していない村人への普及を行った。
ヒアリングやフィールド調査、文献調査により、様々な「むらやし」を収集し、与那に潜在する共同体の本質を解明すべく調査・研究を行った。その結果発見した本質とは、水の流れにより形成される循環型の集落構造と、自然に対する畏怖・尊敬の世界観である。周囲を山に囲まれ、山から生ずる湧水や小川が流れる与那には「カー」と呼ばれる村人共有の井戸がある。村は5つの班に分かれており、それぞれに一つずつカーが配置されている。カーは村人の生活用水を賄うだけでなく、水を通じた自然信仰の拝所としても機能しており、物理的・精神的双方で共同体を繋ぎ止めているインフラとして機能している。また、人は山から海に至る水の循環に生き、山と海両者からの恵を大切にいただき生活している。村人の生活は、山と海を流れる水の循環の上に成立していた。
また、古琉球時代から続く在来信仰として御嶽信仰が挙げられるが、御嶽信仰においては方位性が重要視され、南北方向の集落である与那では東向きに拝所を配し、この土地におけるニライカナイの方角でもある西の山を風葬地とした。このように、方位性を重要視する御嶽信仰と、与那における拝所・墓場の配置は一致することから、与那の集落構造と御嶽信仰における方位性が一致する。また、神女の話によると、神女とは自然の存在をより身近に感じられる人が就く聖職であり、自然の意思を村人に伝える役目を担っている。御嶽信仰において自然は信仰対象そのものであり、太陽は御嶽にて生まれ変わり、再び昇るとされる。このように、御嶽信仰は自然に対する崇拝の念と生命が循環するという世界観が念頭にあり、それは村人の生活にも深く根付いている。
収集したむらやしから発見した共同体の本質を三次元媒体で記憶する空間をデザインし、ユアギマーとして製作した。水が循環するデザインとし、森の中を流れる小川を彷彿させる空間とした。また、これは共同体の中にある文化や世界観を後世へ継承する媒体であり、その機能は子供が日常的に遊ぶことのできる遊具としての一面を付与した。前年度までは列柱を立て、水が流れる小川として溝を掘るところまで到達していたこともあり、本年度は屋根と小川、ビオトープの本施行を行った。屋根は漁網を張り、与那に自生しているマーニーという植物を葺いた。また、地面と接する部分には、ハマヒルガオという植物を植え、グリーンカーテンのように屋根を這わせる。水が流れる小川とビオトープにはモルタルを打設し、貯水時に土と水が混同することを防ぐ。
ユアギマーを舞台とした与那こどもまつりでは、子供達が水を流しながら自由に遊ぶ姿が見られた。流れる水に船を浮かべてレースをしたり、ビオトープに溜まった水でプール遊びをしており、大変に繁盛した。また、8月には伝統行事である7月モーイという旧盆の祭りに参加させていただいた。これは先祖を見送る祭りであり、集落の女性が集い、舞を踊る。我々は男性も含め特別に舞に参加させていただき、村人と共に踊った。村の老人たちが楽器を演奏し、若い女性が音楽に合わせて円陣を組みながら踊る。コロナ禍の影響もあり、一時は途絶えかけた祭りだが、区長の努力もあり、今年は無事に開催することができたそうだ。涙ながら観劇の言葉を話す口調の姿には我々も非常に感銘を受けた。
本年度は、前年度に行った調査・研究を発展させると共に、未完成だったユアギマーの施工を行い、前年度は叶わなかった催事への参加を行った。これにより、村人との交流がより深まり、区長との議論を通じて与那における山菜や花といった自生の資源を活用した山菜事業の発足や、それに伴い移動式の共同売店を製作し、実際に運用することを目指すなど、今度の活動方針が決まった一年であった。
方法
本研究は大きく以下の三段階に分けて進められる。①まず、「むらやし」の対象となる集落や村を選定し、その地域に入り込んでフィールド調査を行う。フィールド調査は、住民の生活観察とヒアリング、文献調査、集落構造分析を行う。特に、生活観察では、土着の信仰と生活及び生業がきり離れていない営みの状況を再発見・発掘・記録し、第二段階への足掛かりとする。
次に、②これらフィールド調査を基盤として、地元民との共有を目的とした空間化を行う。空間化の必要は、住民の個人あるいは家(族)によって価値基準の異なる「むらやし」は、長年共に住み暮らしてきた住民同士であっても必ずしも共有されているとは限らず、また、反対に重要な共有代を担ってきた祭事や事業であっても継続の必要性が行き渡らなくなっているという現状があるためである。
最後に、③上記二段階の内容を地域自律型共同体の特徴としてまとめ、それぞれの特異点を抽出する。さらに、それらを相互補完し、相乗効果を与え合う複数の集落間連携のプラットフォームを形成する。以上の三段階の方法によって、「むらやし」は現代においてもその集落独自の経営方法を獲得するための重要な資産であることが裏付けられ、住民がその価値を再認識することで伝統的集落の維持・継続の道が拓かれる。
今回の助成対象である研究においては、この①〜③のうち②までの段階を中心的に行なっている。前年度までに行なっていた研究と実践の完成度や解像度を向上させるべく、数回に渡り与那へ渡航し、現地でのヒアリングやフィールド調査と並行してユアギマーの設計・施工を行なった。さらに、ユアギマーを村人の生活に定着させるべく、ユアギマーを舞台とする祭りを開催する。ユアギマーを通じて与那における共同体の本質を継承するために、子どもたちの参加を促す。したがって、今回開催した祭は、「与那こどもまつり」とし、子どもたちのための祭りとした。
このように、調査・研究から実践までのプロセスを踏み、むらやしの空間化としてユアギマーを制作した後に村人へのアプローチを行った。そして村人からの反応を伺った上で、むらやしの空間化における方法論についてプロジェクトメンバーで議論を行い、今後の与那や新集落におけるむらやしプロジェクトの活動方針や手法についての考察を行った。「 むらやし」プロジェクト全体の運営は A ×W Labo(エーダブリューラボ)が行う。 メンバー
は芦澤竜一(滋賀県立大学教授)・渡邊大志(早稲田大学准教授)に加え、両研究室の学生が参加する。
建築設計と調査研究については、同様にA × W Labo のメンバーが担当する。建築環境学と建築社会学の知見を持つ両研究室が、環境的要因や社会的要因に基づいて集落構造を解明し、空間論的に「むらやし」を分析することにより、これまでどのように共同体が維持されてきたのかを明らかにする。
各集落での調査・研究・広義な設計などの諸活動はA × W Labo 及び地元の主たるキーパーソンによって運営される。
活動のための資金は各種助成金、企業協賛金、募金等の支援金を基盤とするが、各集落での活動によって生じる利益を段階的に活動資金に充てることを検討する。
「 むらやしプラットフォーム」は、A ×W Labo の管理の元、各集落の地元民や支援者(企業、個人)を含めた参加型の運営とする。
与那集落との連携について、区長による村人への呼びかけや、ユアギマー施工の際には地元の材木店による木材の提供、村人による重機の運用補助、与那こどもまつり開催の際には他出展者による協力のもと、広場にある倉庫の壁面に子供達と共にユアギマーをモチーフとした壁画を描いた。このように、本プロジェクトの活動には与那の方々による多大な協力があって成立している。心より感謝を申し上げたい。
結論・考察
本研究を通して、沖縄県国頭村与那地区における集落構造や、その共同体に潜在する本質を読み解き、それをユアギマーとして具現化することを行った。集落に潜在する共同体の本質として挙げられるのは、御嶽信仰をはじめとする、自然を畏怖・崇拝し、共生する姿勢である。神女は、その自然の存在をより身近に感じ取れる人間であり、自然の声を人々へ伝達する橋渡し役として位置付けられる。近年、近代化が進んだ集落では、コンビニエンスストアやホームセンターなどの出現により、それまで集落内の憩いの場や情報伝達の拠点だった共同売店の存在が希薄化しており、数年にわたる経営難の末、昨年に閉店してしまった。そんな中、我々は与那において共同体を繋ぎ止める存在であるカーを新たに「ユアギマー」として作り、村人たちの関わりをもう一度賦活させることを試みた。ただ井戸としてあるのではなく、与那における水の繋がりや自然とのネットワークを後世へ伝承する記憶媒体として、子どもたちが日常の中で遊べる遊具としての機能を付与した。しかし、工期が長引いてしまったことや、ユアギマーの存在を村人へ伝達する機会を十分に設けることができなかったため、現状では村人の生活の中にユアギマーが根付いているとは考えられにくい。ユアギマーを一過性のものとしてでなく、村人の生活に深く根付き、共同体の中に存在し続けるものとして位置付けたい。そのためには、子供を巻き込んだワークショップの開催などを通じて村人に共有すると共に、集落に対し、何かしらの利益を還元することが必要である。共同売店の復興と共に、与那の集落全体を資源とした新たな経済圏を発展させ、その中にユアギマーを位置付けることにより、これまで我々が空間化した共同体の本質を、今一度村人や集落の中に定着させる。
祭りの開催時のみ村人に利用される空間ではなく、日々の日常において村人(とりわけ子供達)に利用される空間として認識してもらうためには、むらやしにおける空間化の方法論を考察する必要がある。与那に限らず、むらやしプロジェクトで取り扱う集落には、優れた文化的背景や人々の営みの歴史がある。文化的背景には原始宗教があり、それは縄文文化にまで遡る。与那では御嶽信仰と呼ばれる古琉球時代から続く原始宗教があり、それは自然の中に信仰対象や聖域を見出すものであった。言わばこれは建築的とは異なる空間発生の原理であり、現代の人々の中にもこの概念は根付いているはずである。今回製作したユアギマーは円形に列柱を建て、その螺旋の中に小川を掘るという、非常に建築的な行為が目立ったものである。その場所に古くから根付く概念と、空間化したむらやしとの間にギャップが生まれてしまったため、村人の中にユアギマーが定位着しずらい状況が生じてしまったのではないだろうか。
与那においては今後もむらやしプロジェクトの活動は続き、また与那以外の集落でも活動していく上で、原始宗教からその場所にある空間発生の概念を読み解き、それに沿った空間構成をデザインすることは、各集落における村人への親しみやすさにつながる他に、その集落における独自性を顕在化させることにもつながる。集落の現状から課題を抽出するだけでなく、縄文時代まで遡る調査をすることにより、文明や社会が成立する前の呪術的な段階における文化を読み解くことができる。これは、その場所に暮らす人々の中で本能的に刻まれた文化や世界観であり、これを空間構成の要素の中に位置付けることで、共同体に潜在する本質を反映させ、またそれを三次元的に継承する媒体としての空間を作り出すことができる。さらに、ヒアリングやフィールド調査からその集落における新たな魅力を発見しデザインに組み込むことや、集落にある資源を利用した事業を発足させていくことで、自立的な共同体を作る。具体的には、集落に自生している山菜や花を活用した山菜事業が発足しており、それに伴う小規模な建築空間の設計、施工を行う予定である。
さらに、やんばるの地域において周囲の集落と協力して共同売店を復活させようという取り組みが発足しており、我々むらやしプロジェクトもこれに参加する。複数の集落が手を取り合いながら共同売店を復活させることは、むらやしの空間化の対象地域が増加することや、その空間の影響を受ける人も増え、充実した運営体制を築くことにつながる。
英文要約
研究題目
Murayashi Project
– A Study and Practice on Spatializing Memories and Oral Tradition of the Village History in Yona District, Okinawa –
申請者(代表研究者)氏名・所属機関及び職名
Ryuichi Ashizawa
Professor
Department of Design and Architecture
School of Environmental Science
Faculty of Encironmental Science
本文
This study is a part of the “Murayashi” research that aims to elucidate the relationship between religion and village structure in the Yona district of Kunigami Village, Okinawa.
“Murayashi” is a term coined from the village’s oral history that is unofficial.
It encompasses the essence of preformalized communal identity through memories,traditions, or the daily lives of people, which have been inherited implicitly before
formalization through beliefs and rituals.
Throughout the field research, it is clear that water circulation is an important element to the locals, they used to gather at the Kaa(well) to carry out daily activites.
As water service is introduced to Yona, Kaa is no longer be used as a community space. On top of that, another community space, the local joint shop, has been closed due to the
launch of convenient store in the neighboring town. We decided to create a new community space as the solution and designed the “Yuagimar”(gathering space).
Yugaimar is a design that incorporates circulating water, reminiscent of a stream flowing through a forest. This space serves as a medium for inheriting the culture and
worldview of the community for future generations. Its function also includes providing children with a playground where they can play regularly. However, due to the prolonged construction period and insufficient opportunities to communicate the existence of Yuagimar to the villagers, it is currently unlikely that Yuagimar has taken root in the villagers’ lives. Rather than being perceived as transient, I would like to position
Yuagimar as something deeply integrated into the villagers’ lives, continuing to exist within the community. To achieve this, it is necessary to engage the villagers through workshops involving children and to provide some form of benefit to the community.